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こうして、どんどん買収しているのだが、一度決めた計画はやり通すべきだという、例の慣性法則がここでも働いている。再開発環状二号線だと。 |
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石碑は、日比谷通り沿いの4丁目角より少し北にある。田村邸は赤煉瓦通りと日比谷通りまで一筋残した内側の街区、きれいな矩形で推定約3000坪と広大だったようである。 元禄14年(1701)辛巳3月14日、松の廊下で刃傷の後、即日切腹である。たしかに江戸城と泉岳寺の中間である。 田村右京太夫建顕(1657−1708)は陸奥一関藩主、陸奥岩沼3万石の領主で、伊達政宗のお孫さんであられた。奥詰兼奏者番として老中の命でその屋敷に内匠頭を預かり、庭先仮小屋で切腹させた。当然その処遇は幕閣の方針に従ったのだろうが、浅野贔屓の世論は田村が冷酷だったとの批判を招き、伊達本家からは義絶されたとか。 |
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買収で残った赤煉瓦通り沿いのわずかな隙間のような土地に、「田村銀杏稲成大明神」が復活建立されている。表示を見るとかなりこの計画道路には不満があるように見える。切腹のように古い町並みを切り裂いたと。周囲を丹念に見ると、旧田村邸の範囲や、当時の屋敷の間取り図、切腹した場所まで貼ってある。 |
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上のお稲荷さんの敷地は新生堂さん旧店舗の買収残地だそうです。新生堂さん(新橋4−27−2)の切腹最中です。切腹のように最中の皮が片側口を開けて中の餡が露出しています。透明なビニールでカバーしていますが。中には餅も入っています。なかなかおいしい。 あやかりなのでしょうが、一時期軽いクレーム処理の手みやげに良いと、結構売れたと聞いたことがありました。「切腹するほどお詫びします」?。まぁジョークですね。深刻なクレームでこれを持参したら余計紛糾します。単純明快に新橋土産でいいと思います。 以上、長年立ち寄ろうと思って果たせなかった材料でしたので、やっと行けて本当にうれしかった。 |
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