国内各地や海外を巡る前に、和歌山県内をもっと見ておかないと後で後悔することになる。そう思い込ませたのは仕事で時に訪れる紀南地方の想像を絶する美しさと神秘的な風景だった。自分の故郷と一致するイメージは、せいぜい紀北の和歌山市周辺から紀の川沿いの中流付近までであり、紀北・紀中の山間部もそうだが、風景・風土は異なるものがある。海岸沿いの小さな平地で大半の経済活動が営まれ、仕事として訪れるのもたいていは海からそう遠くない範囲までしか行かない。しかしその時も地元感覚というものはあまりないのが現実で、東京あたりに出張しても、どちらが遠くにいる感覚かと自問すれば、答えるのは難しいところなのだ。 
  そういうことで仕事の合間や休日に和歌山県内で小遠征を行ってきたが、そろそろ佳境に入りつつある。この春までに一応の区切りを付けようと3月は紀南の山中を横断、また縦断したのである。
  奇岩絶峯の類が東牟婁郡中心に多いのは地質が火成岩帯で、比較的新しい時代にできあがった地層であり、浸食や変成の跡が激しく残されているからだと思う。西部紀伊水道沿いや紀中以北よりは山の傾斜が急で、岩盤が露出した荒々しい部分と30度程度までの傾斜面で植林された部分、薪炭林にされた部分とに複雑に分かれている。概ね北向き斜面は林業向きということで、昭和50年代までに可能な所は植尽くされたように見受けられる。人々は谷底と川沿い、道路沿いに長閑に暮らしているように見えるが、美しい自然のあるところには人間の厳しい生活があるというのも現実である。
  今回の探訪はすさみから始まる。周参見まで海岸沿いを南下すれば、その日は「ケンケンかつお祭り」が漁港で行われていた。魚など買えばすぐ家へ帰るしかないので見学は諦めたが、JRのすさみ駅の掲示を見れば、説明が丁寧にされている。ケンケンとはハワイのカナカ語で、船を走らせながら擬似餌を曳くと、その擬似餌が海面をピョンピョンと跳ねるらしいのであるが、その跳ねる様子を指すらしいが、今ではケンケンと言えばすさみのケンケン船を指すようになったとされる。
  簡単に言えば、小型トロール漁船が擬似餌をつけた釣り糸を引っ張る漁法で、もう少し大きい船で舷側に釣り手が並んでやる一本釣りとは次の点で異なり、こちらの方が上等でブランド化したのだという説明である。まずケンケン漁の鰹は釣り上げたら1本づつ丁寧に抱き留めて活け締めする。やさしいのだそうだが釣り上げられる方にとっては残酷このうえない。1本釣りの場合は甲板に勢いよくたたき着けられるが。そしてケンケンでは氷を入れた水槽に頭から突っ込み自然に血抜きをするのである。一本釣りでは身をばたつかせ船倉の氷の中へ落ちていくので血抜きはされない。また前者は、海水氷に入れたまま持ち帰るので水揚げする頃には鮮度が落ちない氷温になっており、水揚げする時にも頭を下にしてカゴに並べ衝撃を与えないようにして身割れを防ぎ血抜きが完全にできるそうなのだ。後者ではバラで氷に埋まっており水揚げ時に手渡しで人の体温が鰹に移る場合があると比較されている。だから1本釣りより美味しいから認証シールを貼った魚を買って下さいという。
 周参見小学校の構内の看板を読めばここは江戸時代の代官所跡で、当時は口熊野の中心であったことがわかる。口熊野は紀州藩の直轄地で代官が和歌山から派遣されており、その統べるところ、現在のすさみ町、日置川町、中辺路町の一部、大塔村の一部、白浜町の一部、串本町、古座町、古座川町、那智勝浦町の一部に及んだとされる。これも平成の大合併で田辺市が中辺路町と大塔村を併呑しており、日置川町は白浜町と合併、古座町は串本町と合併しているから、余計わかりにくくなってしまった。年貢はここへ集められ和歌山へ回漕されたのだ。
  ここから東へ向いて山中に分け入る。このルートは初めてで、こんな道、こんな集落があったんだとか、随分県道が良くなっているが所々狭いので注意が必要だとか思いながら、出合まではすさみ川沿いを遡り、獅子目トンネルで水系を変え、大谷、佐本、までは佐本川沿いに下り、ここから洞の谷へ廻り、古座川の佐田へと越えていくのである。

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