栄山寺から吉野へ
 いよいよこのシリーズも佳境に入るという感じか、これだけ廻れば自分でいうのも何だが、相当の南朝ファン、念のため右翼ではないけど。賀名生に行って初めて五條の栄山寺にも行在所があったと知った。やれやれ、吉野へ行くのに寄ってみるかな。

今の道路交通では五條から国道24号(下街道)沿いに御所方面に進んで三在で東に折れ国道370号を大淀を通って吉野をめざすのが普通だろう。ところが吉野川は五條の今井あたりで南に湾曲している。どうせ大淀で出会うのだが、県道五條吉野線沿いが往古の街道に相違ないだろう。今井で国道24号から南に入って1qほどか、吉野川の幅がやや狭く岸の東側は崖になった上あたりに栄山寺があった。わずかな川原は石粒も大きく清らかな印象を与える。子供連れが数組遊んでいる。盆休みも今日までだ。


栄山寺は藤原氏南家の初代、武智麻呂が719年(養老3)開創という。天平宝字年間(757〜764)に建てられた八角円堂と梵鐘が国宝で、天平期の建築と壁画が有名らしい。当然ここへ来て初めて知ったことだけど。あの北家、南家とかいう呼称は勢力圏の位置ことだったのかと。壁画のデッサンしている女の子がいたが、建築・美術の方で重要なんだろう。

南朝行在所については、境内の中に石碑が残るばかり、何年間どの帝がどうのということは書かれていない。後村上、長慶、後亀山の三帝の行在所というが、これまで見てきた中での感想では、吉野、賀名生、河内といった南朝根拠地間を移動する際の中継的位置だったようだ。南朝も最後の方は詳細な動向は明らかでないほどの衰微で確定的ではないが、1379年(天授5)頃から3年間くらいは長慶天皇の行在所であったとされる。
 
  

私的には、奈良時代の石塔婆がすばらしかった。日本最古の様式で凝灰岩でできているが高さ360センチもある。その割にずんぐりした印象を与えている。7重なんだが上層は滑らかに丸められた感じなのだ。

境内の池には蓮が咲いている。満開の花、蕾、半開き、それぞれピンクに白のものがある。参詣者のほとんどいない夏の正午の無風、無音に蓮の花、池の底は地獄かと覗き込んだ。蜘蛛の糸を思い出すな。当時も静かな行在所だったように思われる。強硬派だったという長慶天皇がおそらく蓮の花を眺めて過ごされたはずである。1383年(弘和3)に弟の後亀山天皇に譲位したが、死去されるのは1394年、その間の消息は確定的ではないが、陵墓は嵯峨野にある。


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