| 木村の埋立地 概略 |
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■木村平右衛門 氏とは? 九州の電力王と呼ばれる実業家で和歌山でも多くの事業を興し、海南市にも大規模な埋立地を造成し、 臨海工業地帯発展の礎を築いた。 ■略歴 明治14年2月6日有田郡廣村で8代目の濱口吉右衛門の7男として生まれる。 東京で育つが木村家へ養嗣子として入籍。東京高等商業学校中退。 明治44年九州水力電気株式会社創立時、監査役となる。 木國合名会社という漆屋も手がけたが、大正9年に木村実業梶E日本橋となり子息に 委ねる。 大正3年衆議院議員当選(大隈派無所属)。政界はこの一期のみ。 大正5年日高川水力電気会社創業。後に京阪電気鉄道会社に合併。日高郡に旭セメント(後の大分セメント)を創業、白浜町に白濱温泉自動車も創業。小竹岩楠を信任し後に事業を譲渡。上山英一郎と並んで白濱を有名温泉にした功労者とされる。 大正8年 北陸水電椛n業時の監査役 の他、累進する中で多くの会社重役を兼務、 昭和13年に九州電力の代表取締役社長、九州の電力王となる。 国家総動員の強制合併での和歌山地方木材会社の社長も務めた。その他いろいろな会 社の役員もされたが、概ね戦後は悠々自適されたようである。 ■木村の埋立地 大正3年開始、昭和2年完成の5万坪。 昭和29年時点で昭和石油会社海南製油所、 富士白焼酎、山西染色工場、南海油脂会社等が所在した範囲である。 他に、玉置氏の埋立地4万坪、黒江築港埋立地1万9千坪以上で海南市の三大埋立地 と称した(昭和29)。 歴史的に黒江、船尾、日方と個人事業家等が埋立を行い市街地を形成してきたが、以降、さらに大きな住友金属、関西電力の進出、平成に入って県と松下興産による和歌山マリーナシティ埋立てにより、黒江湾は消滅した。
こうして見ると、自分の郷土史についての知識が貧弱であること恥じ入るばかりである。有力者間の繋がりも初めて知ることがあった。つくづく海南市は埋立てでできた街なのだと思う。私が不動産鑑定士を兼業し地歴調査でこうしたことを書くのも何かの縁であろう。 |
| ■出典・資料 「熊峰 木村翁を偲ぶ」昭和29年6月30日発行 発行所 木村熊峰顕彰刊行会 名高283 代表者玉置吉之亟 木村平右衛門(8代目)が昭和28年11月23日没後、九代目が襲名の際披露として配布されたもの。 氏の業績を称えるものであるが、「木村の埋立地」を調査するにあたり、郷土史の参考のため、ごく掻い摘んで要約した。 |
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