和歌山市東部の熊野古道
武内宿禰の産湯の井戸
海南市黒江から高速道路を使わずに大阪へ車で行くための最短経路を、私は長年調べてきました。これは仕事にも遊びにも関係してきますので大切なことだったのです。結局、古代の熊野古道にできるだけ沿った県道を行くのが最短という結論で、地元民には当たり前のことでした。
黒江にかぎらず、大野中等市内中心から、和歌山市東部、岩出町そして大阪府阪南市方面へ山中渓を越えていくには、海南市且来から北へ多田地区を通り和歌山市へ入ります。仁井辺から東へ入り、この薬勝寺の隘路を通って行くのが最短であること、周知のことですが、安全なのは2トン車まででしょう。それから高速と池沿いに北上して東池の南端で一旦東へ曲がり高速を潜り、すぐ左折北上して須佐から伊太祈曽、というルートは、ほぼ熊野古道であり、県道岩出海南線となっています。当然徒歩時代の主要道路は最短距離を選んでいます。近代の道路整備は多少ルートも振れたでしょうが、古道沿いであること変わりはありません。
この県道の西側に数十メートル離れた、東池の南西の松原地区に武内神社が目立たず低い丘の東麓にありますが、ここが武内宿禰の生誕地に比定されています。実在した人物だったと信じるのですが、紀氏の数代に亘る複数人が一人の人物として書かれた可能性もあります。または、古事記では天皇の在位年数を引き延ばしたため実際4代の大王に仕えたのかもしれません。一代10年程度の交替だった可能性が高いですから。
子供のときは井戸が建物の中にあって覗いた記憶があったが見あたらなかった。ここから北西5、600m北西にも井戸という地区があります。どういう関係なのか興味があります。
[追加] 紀伊続風土記によれば、井戸の井戸は武内宿禰とは関係ないようです。大師加持水と呼ばれていたようです。今でも集落中央の共同井戸から多くのパイプが各戸へ引かれています。恐らくは市の水道と併用され洗濯等に使われているのでしょう。 
伊太祈曽から北へ平尾、明王寺から矢田峠を越えると和佐地区にでます。川辺橋で紀ノ川を渡るには、井ノ口の集落を西に廻って、松下幸之助生誕地の松下公園前を通り、千旦北口で紀ノ川土手に出る必要があります。JR和歌山線の千旦駅から布施屋駅まで付近は、たぶん集落内へ車が入ってくるのを住民が嫌ったのか、まともな南北の道はありません。
 熊野古道はその道の狭い集落内を歩行を前提に道案内が出されています。
唯一合法的に通れるのはこの踏切くらいで、趣味的に徐行するなら軽自動車での利用は可能です。もう一本東の1.3m幅以下の車両のみ可の踏切は軽自動車も通れますが、本当は交通違反です。見ているとけっこう配達等で車両が通っています。いっそ整備した方がいいと思うけどどうなんだろう。西側2本の踏切は実際通れません。杭を打っていたり、ガードレールが1.2m幅で打たれています。JRの北側の道路から橋へあがるのもわかりにくい道で木材工場の脇から川辺橋南詰へ出ます。他にもルートはありますが、抜け道研究がメインではないのでやめておきます。古道は歩いて散策しましょう。
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