紀の川沿いをふらつく

明日から数日和歌山を離れるからか、紀の川市の紀伊国分寺跡を訪れた。歴史公園として整備されており、江戸時代に復元された本堂以外は塔や講堂の基壇や礎石が残されているばかりで、周囲は広々した芝生が広がっている。一家族がお弁当を食べているばかりで、中年のナップサックをだらしなく肩から垂らした私を誰が見ることもない。
隣接する民俗資料館で読めば、756年(天平勝宝8)頃竣工後、879年(元慶3)焼失したが、すぐ一部は再建され平安末頃までは国分寺として機能していたようだ。パンフレットには律令制の崩壊や真言密教系仏教等に押されて衰退してしまったとある。
国家鎮護なのか治世の安泰なのか聖武天皇は各国に大規模な寺を建てれば仏の加護で何とかなると実際信じた。資料館の展示は日本史の復習をしろとでも言うように、律令制の説明と寺建立のための民衆の労苦を説いている。国力を傾けて造営した寺院は今や空しく散策の場となったが、歴史的空間として残されている。人間のやることなどそう変わったとも思えないが、和歌山城や県立美術館がどう違うのかは千年もたてばわかるだろう。当時の公共事業とも言えるが、ちょっと違うのはこの事業が民衆の所得や仕事を作ることになったわけではないことである。律令制だから徴用であり、無理矢理かり出された農民が食料自弁で働いたというところである。それも実際のところどういう運用がされていたかなど、学者でもわからないはずである。食料支給もなく工事現場で餓死者、逃亡者続出では仕事にならない。事実稲一万束を寄進した者がいるなら、その米は材木、瓦等の購入費、工人への支給に充てられたはずだから。遠い過去を想像するのは、まさに曇った夜に月を思うようなものである。

岩出市は2006(平成18)4.1に市制移行し東西に走る国道24号沿いに路線商業施設が出店著しい。オークワのミレニアシテイ岩出店付近が中心商業地である。その周りを全市に亘り分譲住宅地域が散在し、展開し、あるいは連たんしている。やや規模が大きいのは紀泉台、桜台等で後は小規模開発の団地がほとんどである。開発規制の緩い非線引都市計画区域が全域なため、地価の相対的安さで和歌山市等周辺市町より人口を引き入れたわけであり、まだしばらくは人口増加が見込まれる県内では数少ない地域である。市民のほとんどは分譲住宅、共同住宅、分譲マンションの住民であろう。この三分類と多少の分譲住宅地域のランクや駅までの距離、面積といった違いはあるが、ある意味ものすごくフラットな地域社会かもしれない。
根来寺の文化財、植物公園緑化センターといった観光スポットもあるものの、ベッドタウンのイメージが強い。最近岩出図書館が根来に出来たが、非常にきれいである。
主要県道泉佐野岩出線の完全4車線化工事が進められており、山の中に「道の駅 根来さくらの里」もできている。京奈和道路はまだまだ先の事だろう。阪和線経由では、北部は和歌山市よりも大阪に近いとも言える。住民の多くが、県道超えで和泉砂川まで車で出て通勤する。西部の住民は紀伊駅を最寄り駅としている。JR和歌山線は和歌山市への通勤には使われるが単線である。

もちろん、各所に農家集落が残されている。
和歌山市より西部の金屋地区にある増田家住宅は重要文化財の指定を受けている山崎組と呼ばれた庄屋宅でこの長屋門は1759(宝暦9)年築とある。